【感想】安友志乃著『撮る人へ―写真家であるためのセルフ・マネージメント』

写真家の幡野広志さんがオススメされていた『撮る人へ―写真家であるためのセルフ・マネージメント』という本を読みました。

著者は安友志乃さんという方で、ギャラリストとして多くの写真家をみてきた経験から、プロ、アマチュアを問わず写真を撮る人へのメッセージが書かれています。

ぼくは幡野広志さんの写真と文章が好きですので、その幡野さんがオススメする本ということで読んでみました。

以下、ぼくが本書から受け取ったメッセージです。

「写真には、それを撮った人の感動の軌跡が残るので、好奇心を持ち、心揺さぶられる感受性を持ち続けよう」

このメッセージのままに、素直な気持ちで、感動のままに写真を撮っていこうと思います。

以下、よかったところを抜粋してご紹介します。

★「押せば写る」このことをポジティブに捉えた人、岡本太郎さんもその一人です。岡本さんの作品を観ると「押せば写る、そっかぁ、だったら誰にもできない技術を」なんて考えなかったように思います。「押せば写る、素晴らしいじゃない!!」と言われそうです。岡本さんの作品は立体も平面もその作品を創り上げる時、対象物と魂が一つになる。けれどもカメラには他の表現メディアのようなもどかしさがない。カメラは、対象と自分の魂が同化できるセッションの道具として最高だったんじゃないでしょうか。多くの写真家にありがちな視点や視線のあざとさなんて微塵も無い。ただただ、同化してうち震えシャッターを切る。写真にはその感動の固まりとしての魂があるのみです。それは、人々を写したシリーズのみならず、土器のクローズアップなんかにも現れています。縄文人がひねり出した土塊の感触、そうひねりたかった気持ちがビリビリ伝わってシャッターを押してしまうんです。例え写真がブレていようがボケていようが、そこに心揺り動かされた岡本太郎という人の感動の痕跡があって、写真に残されたその感動の痕跡に見る側も感動させられてしまう。つまり、写真を見る側は構図やピントが合っていること、そのことに感動しているわけじゃなくて、写真にある作者の心の痕跡に感動してしまうんです。こういう写真に出会うと「押せば写る」はカメラの真骨頂なんだな、と思います。そして、凄い人ってどこにだって存在するし写真って誰にでも撮れるから、意外な人にこんな才能があったんだって発見できるのもカメラの面白さだよなぁ、と思うわけです。(18ページ)

★「押せば写る」だからこそ必要なのは心の揺らぎです。
 ガーンとしたショック、ハッとした感激、ささやかなことだけど涙ぐめるような一瞬、心がヒリヒリするような切なさ・・・心にいろんな揺れ幅を持っていること、持ちつづけられること、そしてそれがわかること、が一番難しいことだけれど、じつはすごく大切なことなんです。
 なぜ難しいかと言えば、あたり前ですが人は皆、大人になってしまうからです。生きて行くってことはさまざまな体験をすることです。同じ体験を二度も三度も重ねればたいていが飽きてきて、起こりうることも予測がついたりしまう。こういうところに感動するんだよなぁ、と妙に分析できたりします。(中略)八十だろうと百だろうとワクワクしろよと言いたいし、歳いってるからといって感動のタズナ管理は緩めたくないもんです。まぁ、とにかく大人になると目の前の出来事にせっかく出会っていながら心が傍観するようになるんですね。瞬間に生きなくなる。好奇心がなくなっちゃうんです。(20ページ)

★アシスタントの作業処理能力について、しみじみ考えたことがありました。いったい、どんなふうにその能力がステップアップしていくのか。
 まず、第一段階は「問題に気がつかない」。これは経験が浅いうちにありがちです。みんなそうです。でも、できるヤツってこの時点で違う。どう違うかというと、自分が気づける範囲の問題を処理しようと努力するんですね。ゴミが落ちてたら拾う、とか、灰皿が一杯だったら捨てる、というような他の人が手が回らないようなところを自分なりに解決しようとする。(中略)
 次は「指摘され支援によって解決できる」です。人に言われて手伝ってもらってできるってことですね。でも、これは、第一段階での自分なりの努力を周りが認めてくれて、はじめて指摘してくれるわけです。指摘されるってことは「やらせてみようかな」という先輩やプロの配慮があってはじめて任せてくれるわけです。指摘してくれる、これってすごい大切です。(中略)
 その次「指摘されて独力で解決できる」。このあたりが分かれ目のような気がします。この指摘をウザイと思うか、独力で解決できることに快感を見いだせるか、ほんとに各自の差が広がってきます。
 それから「問題に気づき独力で解決できる」です。おそらくこのくらいがアシスタントとしての基本レベルです。これができてはじめて、アシスタントとしての仕事にお金を払ってもらえるに値します。
 そして最後は、「起こりうる諸問題を事前に防御できる」。もう、このくらいになると、手放せない存在になります。(75ページ)

★テキストを書く作業は作者自身が自分の作品を客観的に突き放してみることのできる、唯一の手段だと私は思っているのです。なので、普段から感情や表現について的確に言語化する訓練をしていれば、漠然と作品を制作する、というようなことは少なくなります。
 それから「見れば判るんだからテキストなんかいらない」という考え方もありますが、私は見る人に対して少し傲慢な気がします。一人でも多くの人に作品を理解してもらおうとしたら、作品と見る人が関係性をもつための媒介としてテキストが存在したっていいと思うのです。見る人が作品とリンクできる要素は、何も作品そのものだけではありません。(126ページ)